【テキレボEX】【試し読み】鎖―プロローグ

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 梅雨のあけた空はからりと晴れていた。時折吹く風が日除けの為に閉めたカーテンを膨らまし、放課後の校庭の喧騒を巻き上げて三階の美術室まで運んで来る。それでもなお美術室の中は水の底の様にしんとしている。
 隅の薄暗がりに黒く塗られた絵がある。先ほどまでは制服姿の自分が描かれていた絵だ。

『勿体ない、良く描けてるのに』

 塗り潰す作業の間に顧問や先輩や…後輩の部員にすらさんざん云われた、文化祭の展示に向けて描いていた課題の自画像だった。

「だって、しょうがないじゃない」

 ぽつり、とすずは呟く。自分の内に蠢く、いいようのない醜い感情を知った。
 知ってしまった。
 ただただ純粋にきららを想っているのだと思っていた。彼女を想い、彼女の幸せを願っているのだと…でも違った。彼女を想い、微笑み、穏やかに眠る夜はもう来ない。

『…さんと、お付き合いする事になったの』

 はにかみながら報告してくるきららは、今までと違う可愛らしさを纏っていて思わず抱きしめたい程だった。それと同時に耳にした言葉に殴打される衝撃をうけて、吐き気と頭痛に襲われた。何か、何か別の生き物が自分の内でずるり…とのたうつような感覚にしゃがみこみそうになりながらも、顔は造った笑顔で

『そう…良かったじゃない』

と、祝福する言葉がどこか遠く空虚に響いた。

 彼との出会いから恋愛の進行具合までを、この3ヶ月ちくいち話しに聞いていた。些細な事でも報告してくるきららは、ほほえましく、報告の内容は空想味をおび現実味がなく、ドラマの進行を眺めるかのように成り行きを見守っていたのだ。だから素直に祝福できると、そう漠然と思っていた、なんて…なんて馬鹿だったんだろう!
 怒りのような、劣情のような、渦巻く感情を吐露するかのように描きかけの自画像を黒く塗り潰したのだった。

 すずは絵の具が乾いたのを確認して、黒い絵にそっと布をかける。もうすぐ彼女が迎えに来る頃だろう。
 ”これ“を、この身の内の感情を、きららにだけは見られたくなかった。